秋麗の唐招提寺 南大門~金堂 |
セブングループだったのに、うち3人はもう亡くなっている
彼女の旅のテーマは、”父の生きた時代と仕事を辿る旅”
泊り込み翌日、唐招提寺に出かけた
お父さんが唐招提寺南大門を建てられたということを知っての訪問
西ノ京駅から薬師寺の脇を歩いて突き当たりを東に曲がれば、南大門が見えてきた
南大門は五間の中央に三扉とする、切妻造りの落ち着いた門で総円柱
門の向こうには ”天平の甍” 金堂が静かに建つ
唐招提寺の南大門は彼女の父上、日名子元雄氏の設計監督により
昭和35年に新築されたという
このことを見つけたのは、古寺巡礼・奈良唐招提寺を読んでいた夫!!
昭和35年、私たちは高校3年生だった
父上が東京に行かれたので、宮大工さんのお宅で1年を過ごして東京に
お父さんが興福寺の大湯屋を修復しておられるということは
公園の行き来で聴いていたけれど南大門は知らなかった
南大門を建築されたから、私たち出会ったんだと今になって気がついた次第
南大門は奈良時代後期の様式が用いられている
奈良時代の門は、現在法隆寺東大門と東大寺転害門しか残っていない
唐招提寺南大門正面
法隆寺、東大寺両門とも天井は三棟造、天井が前後で別々の山型 を踏襲している
前棟、正面中央には古い額を複製した「唐招提寺」の額が掲げられている
下から見れば棟が2つあるように見え、中央上部には隠れているが真の棟がある
後棟は
門をくぐって玉砂利を踏みしめて進むと金堂が堂々と静かにたたずむ
正面の8本のエンタシス列柱、ギリシャからシルクロードを経て風が吹き抜けるよう
大寺の まろき柱の 月かげを 土に踏みつつ ものをこそ思え
会津八一の歌碑
中から南大門を望む
・・・・・・・・・・・・・
つもる四方山話、それぞれの父の思い出
私たちの父親は皆年配で戦争末期に招集されたもよう、今はもういない
1.戦地から送られた自画像、生まれたばかりの娘を想像で画いた葉書、大切にしている
2.召集され戦地(中国?)に向かう船が沈んで戦死
3.私の父は招集され内地にいたが直ぐに終戦ときいていた。母は何も言わなかったが
叔父の葬儀で、私の父は遺言を書いて出征したと従兄弟から聴いて、びっくり!
4.夫の父親は招集され敗戦で捕虜に、聞き覚えで英語が話せるようになり
通訳もしていた由、夫の母親と弟は出征中になくなった、父帰るで夫は孤児を脱出
なんだか戦争を好む雰囲気がかもし出され、世界の雲行きも怪しいので
プライバシーを少し書いてみました
唐招提寺南大門の説明は 古寺巡礼奈良 唐招提寺
井上靖、森本孝順著 入江泰吉写真 によりました